画人文人 よんじょう
南仏コートダジュール在住の日本人。藍の万年筆で描かれる独自の絵は不思議な魅力を放つ。個展で展示される100点ほどの絵はほぼ完売。アメブロのヨーロッパ部門で有名なブロガーでもある。
<南仏ネコ絵巻>ではフランスのネコにまつわるグッズやよもやま話をイラストとともに紹介します。
「フランス絵巻」
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今回の「南仏ネコ絵巻」はクイズから始めましょう。

「仏人には必須で、日本人には不要のもの、なーんだ?」

コタエは、冒頭の画像。
「紙ナフキン」

こういうものをお土産にもらうと可愛いですけど、日本人には、イマイチ使い道に困る物でもあります。
なぜ、使えないか?というと、本来の用途が、“口を拭くもの”だから。
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日本人が食事する時、仏人と決定的に違う点は、“(食事中)ナフキンを使わないこと”。

結婚式の披露宴やレストランで、食後のテーブルに残されたナフキンの使用状態をみれば歴然ですね。日本人は、ほとんど活用しませんけど、仏国では、パン屋で菓子パンを買っても、紙ナフキンが必ずついてきます。

そして、仏人が使うと、可愛いナフキンも容赦なく、食後はグジャグジャに。(=ナフキン本来の使命をまっとうしています)
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日本人は、何につけ、西洋文化の上辺(ウワベ)だけを輸入しております。

おもてなし用の日本のテーブルに、ナフキンがセッティングされていても、可愛い綺麗なナフキンだと、お客のほうが“汚すのが勿体ない”と感じます。出してるほうも、“ちょっと勿体ない”と思ってるかもしれません。

そもそも、この差は、お箸文化とフォークナイフ文化に起因する(私見)んですわ。
つまり、お箸でつまめる量(多くは掴めない)=口に収まる量。フォーク=大きな塊も刺せる=口からハミ出る量。そのうえ、フランス料理はソースが命。当然、口や衣類に付着しやすい→いちいちナフキンで口を拭くのが習慣になる。

日本人がとってつけたようにナフキンだけマネしても、本体、必要ないものは生活に定着することはありません。

日本人は、お箸のおかげで、そーゆーものを必要とせずに、口端を汚さない食べ方ができる、ということであります。
一方、仏国において、正式なおもてなしの時に、“紙”製のナフキンはエラーとされています。正式には、“布”製のナフキンを置くのが基本マナー。

いかに可愛い猫柄でも、紙製は、あくまでも、ラフな立食やアペリティフ用。メインテーブルに紙製を置くと、食卓の格が下がるという感覚になるようです。仏人は、公の場では建前とお体裁を優先します。

むろん、そういうことで人様の食卓を格づけしたり、「紙製なんて、マナーを知らねえナア」と、上から目線で侮蔑する神経こそ、品格からもっとも遠い“マナー知らず”ですけどね。

お体裁屋といえば、ネコ。(ココで突然、ようやく、強引に、話をネコにつなげる)

帰省中、墓参りに行った日のことなんですわ。堤防沿いの道中、飼い猫がヒョッコリ、出てきてました。近づいても逃げず、人慣れしていて、頭も平気でナデナデさせてくれる。

あとからやってきた甥も即座に魅了され、「ねこじゃらしの代わりに、このススキで遊んでみよう~」と、そこらへんに生えてるススキをもぎって、猫の前で、ジャラジャラと誘導。
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しかし、猫、かんぜんに無反応。
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……。
甥「ん~・・。じゃあ、もっとデカイのでやってみよう」と、今度は、一番大きなススキをひっこ抜いて、再び、至近距離で激しくジャラジャラ。
猫、微動だにせず。
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・・・。
YJ「たぶん、もう、そーゆーモノでは遊ばない年齢なんやわ」
甥「じゃあ、ここに(ススキを)立てておくから、気が向いた時に遊びなさい」と、猫に伝言し、地面(コンクリートが地割れしている部分)に、茎を挿し、ススキが立つ状態に固定して、場を去りました。
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そっから、5メートルほど歩いた頃だったか、フト、何気に振り返ったら、

さっきのネコが、狂ったようにススキと戯れていた……。

ボクサーとサンドバッグの如し

ボクサーとサンドバッグの如し

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欲望を制御していた分、振り幅が大きくなったとみえ、我を忘れ(猫を忘れ)、ガムシャラにススキと遊ぶ猫。
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自分の本能を公の場ではパーフェクトに取り繕う体裁屋。

猫柄のナフキンは奥が深い、のかもしれない。